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豆知識・あれこれ

お正月とは・・・

お正月は、一年の初めにあたり歳神様を家にお迎えして祝う行事です。

歳神様は毎年お正月に家にやってきて、その年の豊穣と幸せをもたらしてくれる神様です。
我々の祖先の御霊であるともいわれ、地域によって「歳徳神」「お正月様」などさまざまな呼び名があります。

お正月は日本の年中行事の中で最も古くから存在するといわれています。
仏教伝来以前から存在していたと考えられていますが、そのはっきりした起源はまだ分かっていません。
もともとはお盆と同じような祖霊信仰(祖先の霊を祀る・供養する)の行事だったのではないかという説もあります。

お正月飾りとは・・・

歳神様を家にお迎えするために飾るものです。
しめ飾り、門松、鏡餅など、それぞれに意味があります。
 
●しめ飾り=災いや不浄なものが家の中に入り込むのを防ぎ、歳神様をお迎えするのに相応しい場所であると示すために飾ります。
 
●門松=歳神様が迷わずに降りてこられるように目印として飾ります。
 
●鏡餅=歳神様へのお供え物であり依り代です。お正月の間、歳神様が宿るといわれます。

正月飾りを飾り始める時期

正月飾りは12月13日~28日までの間に飾り始めます。

「正月事始め」と呼ばれる12月13日以降ならいつ飾り始めても良いとされていますが、現在ではクリスマスが終わった26日以降に飾る家庭が多いようです。
特に28日は末広がりの「八」がつく日なので縁起が良いと好まれます。

逆に、縁起がよくないため避けたほうがよいとされるのが29日~31日です。

29日は「苦松・苦待つ」「二重苦」を連想されるため、31日は一夜飾りと呼ばれ「急ごしらえの正月準備は歳神様に失礼にあたる」「一夜飾りはお葬式を連想させる」、また歳神様は31日の早朝にいらっしゃるため31日に飾り始めるのでは意味がないともいわれています。
30日も旧暦では晦日(月の終わりの日)であるため一夜飾りと同様とされていますが、近年では旧暦は気にしないという方も少なくはないようです。


ちなみに、大安や仏滅といった六曜は正月飾りを飾り始めるにあたり特に気にしなくても構いません。
六曜は鎌倉時代に中国から日本に伝来したもので、その起源は不詳とされ、仏教・神道などの宗教とは一切関係性がないとされます。
そのため、神事であるお正月に関しては必ずしも六曜にこだわる必要はないのです。

とはいえ六曜は今日の日本において強い影響力があり、六曜を取り入れることによってその行事がより一層ありがたいものに感じられるという方が多いのも事実です。
こだわる必要はありませんが、取り入れてはいけないわけでもありませんので、ご自身やご家族のお気持ちで判断してください。

正月飾りを外す時期

正月飾りを外すのは松の内が過ぎた頃です。

松の内の期間は地域によって異なりますが、関東では1月7日に正月飾りを外して11日に鏡開きをするのが一般的です。
そして関西を中心とした地域では1月15日の小正月に正月飾りを外し、15日または20日に鏡開きをします。


もともとは全国的に松の内は1月15日までで鏡開きは20日に行われていましたが、徳川三代将軍・徳川家光が4月20日に亡くなったため月命日の20日を避けて11日に鏡開きを行うようになりました。
そして、のちに江戸幕府の命により松の内も7日までに短縮されます。
これには「松の内であるのに鏡開きを行うのは神様に失礼だから」という理由や、他にも「当時の江戸では火災が大きな問題となっていたため、燃えやすい素材でできている正月飾りは早めに取り払ってしまいたかった」「江戸城を守る大名たちの気を引き締めるため」等の理由があったのではないかといわれています。

これらの事情により江戸を中心とした関東では「松の内は7日まで、鏡開きは11日」で定着し、幕府の影響をあまり受けなかった関西は従来どおりの「松の内は15日まで。鏡開きは20日」の慣習が今でも続いているとされます。

後始末

外したお正月飾りはお焚き上げに出します。
小正月の1月15日頃になると全国各地でどんど焼き・左義長・鬼火たき等と呼ばれる火祭りが行われますので、そこでお正月飾りを焼いてもらいます。

どんど焼きにはお正月にお迎えした歳神様を炎と共にお見送りするという意味があり、歳神様はその煙に乗って帰っていくといわれています。

どんど焼きの行事が無い地域では、神社でお焚き上げをしてもらいます。
年中お焚き上げを受け付けている神社もありますので、小正月のどんど焼きに行けない場合は一度お近くの神社へ相談してみてください。

なお、お焚き上げについては燃えない素材でできているものは受け入れていただけない場合もあります。
地域のどんど焼き・神社でのお焚き上げ、どちらにもそれぞれの決まり事がありますので、焚き上げてもらう品を持ち込む前に実施内容を確認しましょう。

お焚き上げが難しい場合は、家庭用分別ごみとして始末します。
感謝の気持ちを込めてお塩、お酒で清め、紙で包んで他のごみとは別の袋に入れて処分するようにしましょう。

喪中の対応

近親者が亡くなられてから1年間を「喪中」、仏教では49日間・神道では50日間を「忌中」といいます。

喪中は様々なお祝いごとを控えるのが、昔からの通例となっています。
よってお正月飾りは飾らないのが一般的です。
最近は「四十九日を過ぎて忌明けになっていれば鏡餅(家の中の飾り)だけは置く」など家庭によってさまざまな考え方があるようですが、その場合でも外に向けて飾る門松やお飾りは控えた方が良いでしょう。


なお、神棚のしめ縄については喪中であっても忌中を過ぎていれば新しいものと取り替えて構いません。

神棚は家の中にある小さな神社ですので、仏教のご家庭でも神棚に関しては神道の考えに基づいて対応してください。
神道においては故人が亡くなってから50日間を忌中としますので、仏教を信仰されているご家庭では仏式の忌明けである四十九日と混同しないよう気を付けましょう。

縁起物のいわれ

お正月飾りにはいろいろな縁起物をモチーフにした部材が華やかに飾り付けられています。
縁起物にはそれぞれいわれがあります。
一部をご紹介いたしますのでお正月飾りを選ぶ際の判断基準のひとつにしてみてはいかがでしょうか。

お盆の由来

お盆の正式名称は「盂蘭盆会/うらぼんえ」といい、目連尊者の故事「仏説 盂蘭盆経」が起源とされています。

お釈迦様の弟子であり優れた神通力の使い手として「神通第一」と称された目連尊者はあるとき、亡くなった母親が餓鬼道に堕ちて飢えと渇きに苦しんでいるのを知ります。
驚いた目連尊者は母親を救おうと神通力によって食物を差し出しますが、それらは母親の口に入る直前でことごとく燃え尽きてしまい、余計に母親を苦しませることになってしまいました。
困り果てた目連尊者がお釈迦さまに相談すると「7月15日に夏の修行を終えた僧たちにたくさんの飲食を供えて経を読誦し、多くの御霊を心から供養しなさい」と告げられます。
それに従って大勢の修行者に布施を行うと、修行者は大いに喜び、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。
のちにお釈迦さまは「将来の人々も毎年7月15日にこのようにたくさんのお供えを仏や大勢の人に捧げて祈れば、その功徳によって、苦しみの中にある祖先の御霊を救うことができる」と説きました。

この故事から、仏教行事における盂蘭盆会の原型がうまれたとされています。

「盂蘭盆」の意味

「盂蘭盆」という言葉の意味については、いくつかの説があります。

まず、サンスクリット語で"倒懸(とうけん)=逆さ吊りの如き苦しみ"を意味する「ウランバーナ」を中国で音訳し漢字を当てたという説。
これは仏典の辞書のような存在である「一切経音義」にも記されており、最も広く知られている説といえます。

次に、古いイラン語で精霊を意味する「ウルヴァン」が語源だとする説。
古代イランでは、フラワシ(森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。フラワシは人間にも宿っており、人間の魂の最も神聖な部分が人間のフラワシだという)を信仰しており、各々の家に縁の深いフラワシ(祖先の霊/祖霊=ウルヴァン)を祀る行事を行う習慣がありました。それがシルクロードの交易とともに伝わって、ウルヴァンに漢字をあてて盂蘭盆としたといいます。

近年、有力とされるのは「(お供えの)ご飯をのせた盆」を意味するという説です。
盂蘭はサンスクリット語でご飯を意味する「オーダナ(odana)」の口語形「オーラナ(olana)」を漢訳したものであり、「盆」は文字通りオーダナ(ご飯)をのせる盆(容器)であるとしています。
そして盂蘭盆経の中には「盂蘭盆を捧げなさい」「百味の飲食物を盂蘭盆に入れて」などの一節もあることから、「盂蘭盆=(僧侶へ供える)ご飯をのせた盆」であると考えられるそうです。

お盆の時期が地域によって異なる理由

お盆の行事は、もともとは全国的に太陰太陽暦(旧暦)の7月15日に催されるものでした。
しかし明治六年に政府により新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)への改暦が行われた際、旧暦ではなく新暦の7月15日に行う事と定められます。
改暦の方法は、それまで使われていた旧暦で明治5年12月3日であるはずの日を明治6年1月1日として、その日から新暦をスタートさせるというもの。
つまり、今までよりも約一か月早くお盆を迎えることになったのです。

突然の改暦に当時の人々は大いに戸惑ったそうですが、東京や神奈川などの都市部は政府の影響が強かったために令に沿った対応をせざるを得ず、新暦7月15日にお盆を行うようになったといいます。(新暦盆・7月盆)

逆に、都市部と一部の地域以外では7月盆はあまり浸透しませんでした。
新暦7月15日は農繁期の真っ最中にあたります。
当時は国民の大半が農民だったため、農繁期にお盆の行事を行うのは大変難しいことでした。
さらに、例年より約一か月早くお盆が訪れるとなると、設えやお供えに必要な季節の植物・食べ物が用意できない等の不都合も出てきます。
そのため、一か月遅らせた8月に行う8月盆が広く全国的に定着したとされています。
この8月に行うお盆は「8月盆」「月遅れ盆」と呼ばれます。

奄美や沖縄では、新暦ではなく従来どおりの旧暦7月15日にお盆を行います。
大陸文化の影響が強く祖霊崇拝を大切にする地域性により現在でも旧暦が尊重されており、お盆以外の年中行事も旧暦で行われることが多くみられます。
旧暦によるお盆の日程は毎年変わり、ときには9月にずれ込むこともあります。
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